Turn.1「目覚め」

 

 

 

Side.遊星

 

目を開けた時、最初に見えたのは白い天井だった。

見覚えは…無い…と思う。

無い、筈だ。

首を回して現状を確認する。

 

ズキッ

 

「っ……」

 

体に痛みが走る。

極力大きな動きは避け、目線を動かすことにする。

白いベッド。

棚に置いてある花瓶と花。

自分の腕に繋がれている細いチューブ。

成程、ここは病院か…?

 

…むくっ

 

体に無理が無いように、ゆっくりと体を起こす。

だが何故自分はこんなところに…

俺は…

そうだ、俺は『何か』に乗っていた。

それに放り出され、地面に激突し、血まみれになっていた。

そこまではかろうじて思い出せる。

どうしてそうなったのかは思い出せない。

そして、自分は何故此処にいる?

あの状態の自分が何か出来たとは思えない…

 

「……?」

 

もう一度右腕を見る。

そこには俺の腕がある。

当然だ。

だが…何か足りない…ような気がする。

今俺の手に付いているのは点滴のチューブのみ。

それ以外は無い。

包帯も、傷も、ましてや痣など残ってもいない。

これが普通の筈なのに、何故俺は『足りない』などと感じたのだろうか…

 

コンコンッ

 

「…ん?」

 

カラララッ

 

「こんにちはー…あっ…」

 

病室のドアが開き、入ってきたのは幼い少女。

年は…『  』や『  』よりも下だろうか…

…?

なんだ、この感じは。

俺は誰とこの子を比べている?

 

「良かった! 目が覚めたんですね!」

 

少女は笑顔で語りかけてくる。

自分が目覚めた事が、まるで自分の事のように嬉しそうに。

 

「大丈夫ですか? 痛くないですか?」

 

少女は白い服を身につけ、茶色のツインテールを揺らしながら近づいてくる。

優しい子なのだろう。

その大きな瞳は心配そうにこちらを覗きこんでいる。

 

「あの…?」

「ああ…すまない。大丈夫だ。どこも痛くない。」

「……嘘です。痛そうな顔してます。」

「………」

 

少し驚いた。

確かに痛みは残っている。

この子に心配をかけまいと、言わなかった事も事実だ。

だがこの少女は、そんな自分の偽りを見抜いたのだ。

無表情だと言われる事が多かったが、こんなにあっさりと見抜かれるとは…

…ダメだ。

俺はいつそんな事を言われた?

思い出せない…

 

「あの…? どうしました?」

「すまない…君は…?」

「あ、わたしは高町なのはって言います。なのはって呼んでください。」

 

 

 

Side.なのは

 

この人は無表情に見える。

それは間違いない。

だけど何故だろう。

わたしにはこの人が痛そうに見える。

それは体の方かもしれないし、もしかしたら…

 

「あ、わたしは高町なのはって言います。なのはって呼んでください。」

 

もしかしたら、それは体の中の中。

心かもしれない。

 

「そうか。高町、少し聞きたい事が…」

「なのは。」

「………」

「………」

 

自分でも驚いた。

初対面…と言うわけではないが、話すのは今日が初めてだ。

そんな人に、こんな真っ向から意見するなんて。

それも、自分の呼び方だとか、どうでもいい理由で。

 

「なのはって呼んでください。わたしが、そう呼んで欲しいんです。」

 

何故わたしはこんな事を言っているのだろうか。

何を意固地になっているのだろうか。

 

「その代わり、貴方の事も名前で呼ばせてくれませんか?」

「……ふっ。遊星。不動遊星だ。なのは。」

「あっ…はい!」

 

ムキになった理由は分からない。

だけど、この人の名前を知る事が出来て。

この人に名前で呼んでもらえて。

それが…嬉しかった。

 

「それで、なのは。君はどうして俺の事を?」

「わたしが遊星さんの事を…あ、『遊星さん』って呼んでいいですか?」

「好きに呼ぶと良い。」

「ありがとうございます!」

 

この人…遊星さんは無表情に見える。

けど、こうやって見せてくれる笑顔はまぎれも無く本物で。

大きく、優しく、そして、温かい。

 

「えっと、遊星さんが並木道で血まみれで倒れていたんです。そして、わたし達…わたしと友達が、救急車を呼びました。」

「………」

「遊星さんは5日ほど眠っていました。」

「…この花は君が?」

「え? あ、はい。」

 

病室なので仕方ないが、殺風景な部屋だと思ったので、昨日買ったものだ。

とはいっても、お小遣いの関係上、1本しか買えなかったのだが…

 

「毎日来てくれていたのか?」

「はい。」

「そうか…ありがとう。感謝している。」

「えっ、あの、その、ど、どういたしまして!?」

 

柔らかな笑顔。

そしてこれ以上ないくらいの真っ直ぐな言葉。

わたしは顔が熱くなるのを感じながらも答えた。

 

「それで…あの…遊星さんはどうしてあそこに、あんな状態で…?」

「………」

「あ、あの、言いたくなければ別に…」

「いや、言いたくないわけじゃない。『言えない』んだ。」

「え?」

「いや、正確には『俺にも分からない』としか言えない。俺は…自分の名前。俺が『不動遊星』である事以外、何も覚えていないんだ。」

 

そんな…

普通ならば本当かどうかを疑う所なのだろう。

だけど、遊星さんの目は嘘をついている人の目じゃない。

本当なんだ、全部。

あ。

そうか。

だからなんだ。

わたしは遊星さんに名前で呼んでほしいと言った。

名前で呼びたいと言った。

それは遊星さんに、わたしがいると、一人じゃないと伝えたかったからなんだ。

 

きゅっ…

 

「なのは?」

「………」

 

わたしはいつの間にか、遊星さんの手を握っていた。

温かい…

大丈夫。

この人は…遊星さんは此処にいる。

そして、遊星さん。

わたしも…此処にいます。

伝わるとは思えない。

だけど遊星さんは、わたしの手を振り払おうとはせず、静かに手を握り返してくれた。

 

 

 

Side.遊星

 

何秒。

あるいは何分だろうか。

俺はずっとなのはの手を握っていた。

なのはも俺の手を握っていた。

…温かい。

まるで彼女の心のように。

 

その後、問診にやってきた医師と会話した。

なのはは待っていると言ってくれたが、どれだけ時間がかかるか分からない上に、暗くなっては危険だと言う事で帰ってもらった。

彼女は寂しそうな顔をしていたが、こればかりは仕方ない。

 

自分の記憶の事を話すと、担当の医師の他に、精神科の医師との面談も行った。

話を聞くと、俺の傷は出血こそ多かったが、切り傷がほとんどであり、この5日間で大方治癒しているらしい。

この治癒スピードに医師は驚いていたが…それはともかく。

どうやら頭部に外傷は無く、記憶障害は心因性の物の可能性が高いと言う事だった。

会話しながら分かった事は、日常生活にはほとんど問題ないと言う事。

ただし、人や地名など、特定の記憶が抜け落ちていると言う事。

俺の中に時々浮かぶ、名前の無い名前。

それはきっと俺の記憶の欠片なのだろう。

 

コンコンッ

 

「どうぞ。」

 

医師が答えると、2人の人間が入ってくる。

そこにいたのは見覚えの無い男と…

 

「なのは?」

「えへへ…2回目ですけど、こんにちは。」

 

先程の白い服では無い…

鞄も無いところを見ると、先程の服は学校の制服のような物なのだろう。

と言う事は、帰宅して、着替えて、もう一度出直して来たという事か。

 

「初めまして。なのはの父の高町士郎だ。」

「…不動遊星だ。」

 

この人はなのはの父親だったか。

随分と若いな…

 

「高町さん、ちょうど良かった。お時間は大丈夫ですか?」

「はい。」

 

医師達はなのはの父…士郎と共に部屋を出ていく。

 

「お父さんに遊星さんが起きた事を話したら、あいさつに行くって言いだして…すみません。」

「いや、問題ない。だが、仕事の邪魔をしたんじゃないのか?」

「今日はたまたまお客さんが少なかったので、早めに店を閉めたんです。あ、わたしの家、喫茶店をやっているんです。」

「そうだったのか…だが、何でまた?」

「えーっと…」

 

なのはは話すべきかどうか迷ったようだが、やがてその口を開いてくれた。

 

「遊星さんは、身元不明の人だったので、お父さんが保護者扱いで手続きしてくれたんです。
 目覚めたなら色々と話を聞きたいらしくて…すいません、お疲れかもしれないのに…」

「いや、それについては問題ないんだが…」

 

そうか、なのはの家が俺の保護者扱いか…

色々迷惑をかけてしまったな…

まず思い浮かぶのは金銭的な問題だ。

俺は金を持っていただろうか…

 

「すまない。治療費は動けるようになったらすぐに働いて返す。」

「ふぇっ!? そんな事気にしなくても…」

「なのはの言う通り。そんなこと気にせず、まずはゆっくり体を治しなさい。」

「お父さん…」

「だが…」

 

いつの間にか士郎が部屋に戻ってきていた。

 

「君の事を色々と聞いてきた。記憶が無いという事もね。どうだい? 私達の家に来ないかい?」

「お父さん!」

 

なのはは輝かしい笑顔を士郎へと向ける。

 

「だが…それではアンタ達の迷惑に…」

「そういうことは考えなくて良いんだよ。それに、記憶も当てもない人を放り出したりなんかしたら、それこそ気になって仕事に集中できないよ。」

「………」

 

正論だ。

そして、この人はきっと良い人なのだろう。

なのはの優しさは親譲りなのだろうか。

 

「ちょっとずるい言い方だったね。今言った事は建前さ。日常生活の中で記憶を取り戻す事もあるらしいし、衣食住も完備。君にとっても悪い話じゃないだろう?
 世話になりっぱなしと言うのが居心地が悪いのなら、私達の仕事を手伝ってくれれば嬉しい。」

「………」

「それに、なのはも君の事が気になっているようだしね?」

「お、お父さん!?/////

 

…?

ああ、俺を見つけたのはなのはだからな、責任感の強い子だ。

 

「このまま君を逃がしたら、なのはの機嫌が悪くなるだろうしね。」

「お父さん!!/////

 

ふっ…

本当に仲の良い親子だな。

 

「分かった。そちらが良ければ、お世話になりたい。俺に出来る事は可能な限り何でもやろう。」

「あっ…」

「決まり、だね。これからよろしく、遊星君。」

「ああ。」

 

さっきまで俺は1人だった。

だが、なのはが俺の手を握ってくれた。

俺が彼女と出会ったことに、何か意味があるのなら。

俺は精一杯、彼女の事を守りたい。

心から、そう思った。


















 To Be Continued…