ゴールデンウィーク五日目。
本日は夏月とヴィシュヌのデートの日なのだが、其れでも夏月は早朝トレーニングを欠かす事は無く、学園島を一周して学園寮前に戻って来た――何時もの『早朝トレーニング』ならば其処からフィジカルトレーニングに移るところなのだが、此の日はクラス代表対抗戦の日以来となる夏月とヴィシュヌが早朝トレーニングでエンカウントしたようだ。


「朝から精が出ますね夏月?」

「お前もな……てか、何でそんな複雑なポーズが出来んだよヴィシュヌ?」

「長年の修業の賜物、でしょうか?
 日々の鍛錬を起こる事が無ければ、此れ位は余裕です――特に夏月、貴方ならばきっと出来ると思いますよ?」

「いや、多分無理だと思う。てか絶対無理だって。関節の可動域越えてるし。
 前から思ってたんだけどよ、ヴィシュヌってもしかしたら普通の人よりも身体が柔らかいだけじゃなくて、関節の可動域が広いんじゃないのか?だからそんな人外なヨガのポーズが出来るんだと思うんだが……つか、ぶっちゃけダルシムもビックリなポーズだし。」

「言われてみれば、母からムエタイ以外にもグラウンドのテクニックも伝授されているのですが、その際に関節技を掛けられても只の一度もギブアップした記憶は在りませんね……私は特異体質だったという訳ですか。」


そして本日もまたヴィシュヌがヨガで何とも奇怪なポーズ――両足を頭の後で交差させて引っ掛け、更に背面合掌を行っており、これまたお約束的に夏月からの突っ込みが入った訳だが、如何やらヴィシュヌは普通よりも関節の可動域が広い『ダブルジョイント』と呼ばれる特異体質だったらしく、母親から護身術を兼ねたサブミッションを教え込まれた際にも一度もギブアップする事は無かったらしい。
同時に関節の可動域が広いと言う事は打撃に関しても有利に働く部分があり、関節の可動域が広ければそれだけ腕や脚がよりしなやかになるだけでなく、腰の捻りもより大きく出来るので打撃の重さも増し、連続攻撃もよりスムーズに行う事が出来るのである。
……何故『最強の人間』を目指して作られた夏月にその可動域の広い関節を持たせなかったのか些か疑問ではあるが、織斑計画を行っていた研究者達はダブルジョイントの存在を知らなかったのかもしれない。


「ま、ダブルジョイントの人間は脱臼もし難いって聞くし、怪我する確率も低くなるから良かったんじゃないか?」

「そうですね。
 其れよりも夏月、本日のデート宜しくお願いします。」

「あぁ、こっちこそな。何処に行くのか決めてあるのか?」

「決めてありますが、何処に行くかはデートが始まってからのお楽しみと言う事にしておいて下さい。」

「だな、そうしとく。」


話題は本日のデートの事になったが、『何処に行くのかはデートが始まってから』と言うのは当然と言えば当然の事であると言えるだろう。
デート前に何処に行くのかを知っていれば其れに適した服装を選ぶ事は出来るが、何処に行くのかと言うワクワク感は薄れてしまうので、デートの新鮮さを味わいたいのであればデート前よりもデートが始まってから、もっと言うのであれば実際に目的地に到着して初めて知ると言うのが良いのだろう。

トレーニングを終えた夏月は自室に戻るとシャワーで汗を流した後に朝食作りを開始し、途中でロランが起きて朝食の準備を手伝うのもスッカリ朝のお馴染みの光景となっている。
本日の朝食メニューは麦飯、アジの干物のグリル焼き、白菜のピリ辛浅漬け、ダイコンと白菜とエノキダケとネギと油揚げの味噌汁と言う100%和食のメニューで、夏月は勿論ロランも美味しく頂いた。夏月の作る朝食は和食が圧倒的に多いので、ロランもスッカリ和食の魅力に嵌ってしまったようだ。

朝食を終えた夏月は着替えると、ロランに『冷蔵庫にシーフード入りのホワイトソースが入ってるから、今日のランチはソイツをドリアにして食べてくれ』と言って部屋を出て待ち合わせ場所であるモノレールの駅へと向かって行った。
その『シーフード入りホワイトソース』は一人分の量ではなかったので、ロランは昼食時にコメット姉妹を部屋に呼んでドリアを振る舞い、そのドリアのホワイトソースを作ったのが夏月だと知ったコメット姉妹は驚き、此処に新たに夏月の料理に魅了された少女が二人爆誕したのだった。










夏の月が進む世界  Episode26
『ゴールデンウィーク五日目~偶にはマッタリと~』










モノレールの駅でヴィシュヌを待っている間、夏月はまたもスマホの『マスターデュエル』をプレイしていた。今日はまた別のデッキを使っているみたいだが……?


「先攻とって、手札に黒炎弾二枚と、真紅眼融合が揃ってたら、相手に手札誘発が無い限りは直焼きのワンターンキルが確定するって、真紅眼デッキの直焼き火力ヤバいだろ絶対に。
 青眼は『高い攻撃力で相手を粉砕するビートダウン』、ブラマジは『多数のコンボを駆使するコントロール』が基本なのは良いとして、何故に真紅眼は原作のルールじゃ禁止だった『直接火力』になったのか分からねぇよな……」


如何やら本日は『真紅眼デッキ』を使っていたようだが、その凶悪な『直接火力の威力』に若干引いていた――相手に手札誘発がなければ、手札次第では先攻1ターンキルが可能と言うのは確かに凶悪極まりないのだから致し方あるまい。
先攻を取る事が出来て、尚且つ手札が揃っていれば環境デッキを一方的にフルボッコに出来る『真紅眼』は、実は初代御三家デッキでは最強であるのかもだ。
流石に『直焼きはつまらない』と思った夏月は、デッキを一軍の『青眼』に切り替えてデュエルを楽しんでいたのだが、其れでも1ターンで『青眼の究極竜』、『ブルーアイズ・カオス・MAX・ドラゴン』、『青眼の究極亜竜』を揃えてしまうのは見事であると言えるだろう。


「お待たせしました夏月。」

「マスターデュエルで六連勝する位には待ったが、待つのもまたデートの内だからマッタクもって問題ねぇよ。因みにこれで現在二十八連勝だな。」

「其れはお見事です。」


六連勝したところでヴィシュヌがモノレールの駅にやって来たので夏月はアプリをオフにして本日のオンラインデュエルはデュエルは終了となった。
此処からデートがスタートな訳だが、恒例の本日の二人のファッションはと言うと、夏月はベージュのダメージジーンズに黒地に白で『法で裁けない外道は、外法を以ってしてこの拷問ソムリエが裁く』と入ったTシャツで、腰には髑髏をあしらったシルバーチェーンと言う出で立ち……今日のTシャツも中々に個性的である。
ヴィシュヌの方はと言うと、タイの伝統的な民族衣装を彷彿させる少しタイトな花柄のロングスカートに、若葉色の七分丈のボタン付き袖なしシャツを合わせ、桜色のベストと言うコーディネート。
ヴィシュヌのファッションは、所謂『へそ出し』になるのだが、ヴィシュヌの場合はそんじょそこらのギャルのへそ出しとは違い、鍛え上げられて見事なシックスパックになった腹筋も一緒に見えているのでふしだらな感じはマッタク無く、寧ろヴィシュヌの健康的な身体の美しさを際立出せているくらいだ。


「拷問ソムリエって何ですか?」

「ありとあらゆる拷問に精通した、法で裁かれなかった外道を狩るダークヒーローって所だな……YouTubeの『バグ大』の拷問ソムリエ『伊集院茂夫』は世界中のありとあらゆる拷問に精通してるだけじゃなくて戦闘力もぶっちぎりで武闘派のヤクザもビビるって居るバグ大最強のキャラだな。」

「拷問ですか……タイには、昔の刑務所で実際に行われていた拷問として、対象の顎にフックを突き刺して宙吊りにして、其処にムエタイを叩き込むと言うモノがあったらしいです。」

「ソイツは地獄だなぁ。
 まぁ、其れは其れとして、其のファッションイケてると思うぜヴィシュヌ。」

「ありがとうございます。貴方のファッションも個性的でいいと思いますよ。」


お互いにファッションを褒めた後にモノレールで本土まで移動すると、モノレールの駅からバスで新宿まで移動し、新宿駅から京王線に乗ってやって来たのは東京都下の府中市。
府中駅は大きな駅ビルがあり、その駅ビルには100円ショップを始めとした様々なテナントが入っており、一階にはスーパーマーケットやスウィーツ店が展開されてるだけでなく、駅ビルのすぐ隣には二階建ての『TUTAYA』があり、駅ビルから少し歩いたところには大型のデパートも展開されている活気溢れる場所なのだ。
だが、逆に言うとデートスポットになるような場所は殆どなく、夏月も『何で此処に来たんだ?』と少しばかり疑問だったのだが、駅を降りてヴィシュヌに連れて行かれた場所を見て納得だった。
ヴィシュヌが連れて来たのは、駅の近くでありながら少しばかり路地を入ったところにある隠れ家的な『ゲームショップ』だったのだ。


「此処は……コイツは掘り出し物があるかもな。」

「確実にあると思います。」


『e-スポーツ部の部員として部に貢献したい』と考えたヴィシュヌは、デートの最初の場所としてインターネットを使って調べた此の店を選んだのだった。
隠れ家的なショップだけに『知る人ぞ知る』と言った店なのだが、店内にはレトロなゲーム機やゲームソフトだけでなく、店内に所狭しと並べられているショーケースの中には遊戯王の『スーパーレア』以上のレアカードがリーズナブルな値段でバラ売りされていた。
そこで夏月はPSソフトの『エアガイツ』、『鉄拳』と、遊戯王のバラ売りカードで初期イラスト版の『青眼の白龍』、『ブラック・マジシャン』、『真紅眼の黒竜』のシークレットレア仕様のカードを購入し、ヴィシュヌは初期テキストのシークレットレアの『混沌帝龍』のカードを購入していた――ヴィシュヌが使っているデッキは『カオスロード』なので、エラッタによって大幅に弱体化したとは言っても『混沌帝龍』はデッキに入れておきたかったのだろう。

隠れ家的な中古ショップで良い買い物をした夏月とヴィシュヌは京王線で八王子駅まで移動すると、其処からJR中央線に乗り換えて、やって来たのは高尾山。


「おぉっと、此れで五回目のエンカウントだなぁスカーフェイスの兄ちゃん?」

「アンタ、今日は此処でだったのか。」


そして駅を降りたところで此れまで四日連続でエンカウントしている露店商と出会い、そんでもって当然の如く『デートの記念』としてお揃いのシルバー製のブレスレットを購入し、ブレスレットの裏には夫々の名前を刻印して貰った――こうなると、此の露店商とは七連続のエンカウントもあり得るのかもしれないな。


「んで、高尾山なんだが……若しかして登山イベントか?」

「いえ、山頂まではケーブルカーで上りましょう。」


夏月は登山イベントかと思ったのだが、ヴィシュヌはケーブルカーで上ると言って来たので登山イベントではないのだろう。

ケーブルカーのチケットを購入し、いざケーブルカーに乗り込んだのだが、其れはまた何とも不思議な空間であった――ケーブルカーは山の傾斜に合わせて設計をされているのだが、ケーブルカーの共通設計として車内は大雑把な段設定になっているのだから。
満員になった場合に、立っている客が転んだ際に大怪我を負わないように、敢えてスロープにはせずに段設定をしているのだろう。


「ケーブルカーを使うと楽だな。」

「徒歩の登山よりも時間は掛かりませんし、ケーブルカー自体の速度は其処まで速くありませんから新緑を楽しむ事も出来ますから。」


ケーブルカーでゆったりと新緑を楽しみながら高尾山を上って行き、十分弱で中腹の『高尾山駅』に到着すると、其処からは舗装された一号路――表参道を歩いて新緑の季節の山を堪能する事に。
表参道は登山道とは異なり全行程舗装されており、ケーブルカーの駅からの道はアップダウンも少ないので新緑の山をゆったりと楽しみたいのならば此方の方が向いているだろう。
無論登山道を使って登山するのも良いモノだが、ヴィシュヌの高尾山のデートプランはあくまでも『ゆったりと楽しむ』と言う事なので、其れならば断然ケーブルカーで上ってからのら表参道一択な訳である。
表参道は舗装されているとは言え、其れ以外は手付かずの自然が残されており、新緑の樹木の香りに枝間から差し込む木漏れ日、小鳥のさえずりやそよ風が木々の小枝を揺らす自然が奏でる音楽がゆったりとした気分にさせてくれそうだ。


「なんか、こう言うのも良いな。久しぶりにゆっくり過ごしてるって気分だ。」

「其れならば良かったです。」


夏月にとっても此の高尾山の表参道ートは思った以上に楽しいモノになっているみたいである。
此れまでのデートは、ゲームセンター三昧、コスプレイベント、聖地巡礼、スポーツ三昧と割と賑やかなモノだったので、ゆったりと静かに過ごすデートと言うのは新鮮な気分だったのだ。
そうして暫く表参道を歩いていると、何かがヴィシュヌの胸元に落ちて来た。


「葉っぱ、ですよね此れ?ですが、何か不思議な形をしているような気が……」


其れは木の葉だったのだが、特に風も強くないのに新緑が枝から落ちると言うのは少しオカシナ話であり、落ちて来た木の葉も葉巻タバコの様に巻かれており、とても自然に落葉したモノとは思えない代物だったのだ。


「此れは……オトシブミの卵だな。」

「オトシブミ?」

「そう言う名前の昆虫でな。
 オトシブミの仲間は卵を木の葉っぱに産み付けた上で、その葉っぱをこんな風にクルクル巻いてから地面に落とすんだよ。
 樹上に置いたままだと鳥とか他の昆虫とかに狙われ易いけど、地面に落として雑草や落ち葉の中に隠れちまえば狙われるリスクが相当低くなる上に葉っぱで巻いちまえば葉っぱ其の物が卵をガードする要塞にもなるから、こんな不思議な形にしてるんだとさ。」

「良く知っていますね?少し意外でしたが、それにしても見事な知恵ですね……」


その不思議な木の葉の正体は夏月には分かったらしく、其れが何であるのかを説明し、ヴィシュヌは予想外の夏月の知識に驚くと共に子孫を繋ぐ為の知恵に感心していた――因みに夏月が妙に詳しかったのは、小学生の時に図鑑に嵌っていた時期があり、特に昆虫図鑑を好んで読んでいたからだったりする。
此のオトシブミの卵を皮切りに、高尾山や周辺に住む野生動物の姿をちらほらと見るようになり、キツツキやヤマガラと言った野鳥に蝶やナナフシと言った昆虫、果てはタヌキやニホンザルと言った動物まで見る事が出来た。特に基本的に夜行性の動物であるタヌキを昼間に見る事が出来たのは可成りレア体験と言えるだろう。
自然を体感しながら表参道を進むと、その先にあったのは『高尾山薬王院』だ。
『浄心門』を潜った後に『百八段階段』を上り、その先にある『仏舎利塔』に手を合わせてから『山門』、『仁王門』を通った後に先ずは『御本堂』を参拝し、『御本社』、『奥之院』、『浅間社』、『大師堂』の順で参拝した後に御護摩受付所で高尾山薬王院独特の『天狗の御朱印帳』を、夏月は黄色、ヴィシュヌは赤を購入して、最近では『参拝の証』ともなっている『御朱印』を貰って高尾山薬王院を後にした――因みに、高尾山薬王院の奥の山道を上って行くと頂上に辿り着くのだが、本日のデートプランは薬王院迄だったので、此処でUターンと言う訳だ。
ケーブルカーの駅へと戻る帰り道では、『たこ杉』と言う樹齢百年以上の大杉の写真を撮り、行きと同様に自然を満喫しながら歩いていたのだが……


『コン♪』

「夏月、アレは……」

「キツネだな。しかも奇形か?尻尾が二本ある。」


夏月とヴィシュヌの前に尻尾が二本あるキツネが現れたのだ。
高尾山にはタヌキだけでなくキツネも居ると言えば居るのだが、人前には滅多に姿を見せないので、こうしてその姿を拝む事が出来ると言うのは昼間にタヌキを目撃する以上のレア体験であると言えるだろう。
見たところまだ子ギツネのようだが、遊んでいる内に表参道に出て来てしまったのだろう。夏月とヴィシュヌは怖がらせないようにキツネがその場を去るのを待っていたのだが、そのキツネはその場から去るどころか夏月とヴィシュヌの方に近寄って来て、なんと二人に身体を擦り付けて来たのだ。


「夏月、此れは一体如何した事でしょうか?」

「そんな事は俺が聞きたいっての……まさか尻尾が二本ある子ギツネとエンカウントして、更にイキナリ擦り寄られるとは予想外にも程があんだろ流石に?キツネに抓まれたような気分だぜ。相手がキツネだけに。」


まさかの事態に驚きはしたモノの、自分達の事を全く警戒していないみたいなので夏月とヴィシュヌもそのキツネを撫でてやり、再びケーブルカーの駅に向かって歩き始めたのだが、なんと其の子ギツネも一緒に歩き始めた。二人に付いて来たのだ。
初めの内は夏月とヴィシュヌも『その内何処かに行くだろう』と考えたのだが、子ギツネは一向に何処にも行く気配はなく遂にケーブルカーの駅まで付いて来てしまったのだ。


「オイオイ、何処まで付いて来る気だ?そろそろ帰らないと、お母ちゃんが心配しちまうぞ?」

「此処から先は一緒には行けませんよ?自分のお家に帰らないとダメです。」


流石に此れ以上は一緒に居る事は出来ないと考えて、夏月とヴィシュヌは子ギツネに自分の巣に帰るように言ってみたのだが、子ギツネは頑としてその場から動こうとはせずにじっと二人の顔を見つめている――其れはまるで『一緒に連れて行って』と言わんばかりだ。


「……若しかしてコイツ、親や兄弟を亡くしちまったのか?
 自分一匹だけ生き残って、そんでもって困り果ててた所で俺達と出会って……擦り寄って来たのはSOSのサインだった、そう言う事なのか?もしそうだとしたら、流石に見捨てる事は出来ないよな?」

「ですが、連れて行くのも難しいですよ?下山は徒歩でも可能ですが、此れから先の予定では動物を連れて行くのは無理なモノなので……」

「……だったらイチかバチか、あの伝説の掛け声を試してみるか――子ギツネ、『ヌイグルミ!』」


だからと言って一緒に連れて行く事は出来ないのだが、親と兄弟を亡くして偶然であった自分達に助けを求めて来たのだとしたら見捨てる事は出来ないので、夏月は動物を合法的に様々な施設に合法的に連れ込む事の出来る伝説の呪文である『ヌイグルミ』を唱えると、其れを聞いた子ギツネはお座りした状態で微動だにしなくなった……あの呪文は猪だけでなくキツネにも有効だったようだ。
そんな訳でヌイグルミ状態なった子ギツネを抱えてケーブルカーに乗り込んで下山。ケーブルカーの中で性別を確認したらメスだったので、名前を二人で考えて決まった名前は、夏月が話した『安倍晴明の母親である葛の葉は妖狐だった』と言う伝説から『葛の葉』を捩って『クスハ』となった。
流石に野郎がヌイグルミを抱えているのは不気味なのでクスハはヴィシュヌが抱っこしていたが。

下山した頃には丁度昼食時だったのだが、ランチもヴィシュヌは考えていたらしく駅から程近い蕎麦屋を本日のランチタイムの場所とし、確りと予約も入れていた。


「蕎麦屋か、渋いな?」

「学園の学食で日本の麺を色々と食べてみましたが、うどん、素麺、蕎麦の中では一番蕎麦が私の好みだったんです。あの独特の香りはとても素晴らしいモノです。
 其れと、此の店では高尾山の名物蕎麦が味わえるとの事でしたので、此れは外せないと思ったんです。」

「高尾山の名物蕎麦?」

「とろろ蕎麦です。」


そしてこの店は高尾山名物の『とろろ蕎麦』が食べられる店でもあったのだ。
『とろろ蕎麦』と言うと、一般的には蕎麦のツナギにとろろ芋を使っているモノを指すのだが、高尾山のとろろ蕎麦はつけ汁にとろろ芋を加えた独特のとろろ蕎麦であるのだ。
お伊勢参りの宿場町に伝わる『麦とろ』と同様、高尾山でも険しい山道を登る薬王院への参拝者の為に滋養強壮効果のある山芋を摩り下ろしたとろろ芋が振る舞われており、江戸時代に其れが庶民食の代表であった蕎麦と融合してとろろ蕎麦が誕生したとも言われているのである。
となれば、当然オーダーはとろろ蕎麦一択なのだが、とろろ蕎麦単品ではなく、天ぷらとセットの『天とろろ』の特上をヴィシュヌは並で、夏月は特盛で注文した。


「お待たせしました、天とろろで御座います。」


注文してから十五分程して天とろろの特上が運ばれて来た。
蕎麦はザルに盛られ、つけ汁にはとろろ芋が投入されているがネギやワサビと言った蕎麦のお供とも言える薬味はなく純粋に蕎麦ととろろ芋のコラボレーションを楽しむメニュー構成となっていた。
天婦羅の方も季節の山菜(山独活、タラの芽、こしアブラ)と江戸前の海鮮(車海老、穴子、ヤリイカ)、そして東亰のブランド豚である『東京X』のバラ肉とバラエティに富んでおり満足の行くモノだった――天婦羅は天然の岩塩でと言うのもポイントが高いと言えるだろう。
ランチにはデザートも付くのだが、そのデザートも『葛饅頭』と和のスウィーツであり、葛のプルプルの食感と絶妙な甘さの餡がベストマッチだった。
会計はヴィシュヌは割り勘の心算だったのだが、夏月が『良い店に連れて来てくれた礼に俺が払うよ』とヴィシュヌの分も払い、ヴィシュヌも『ありがとうございます』と礼を言ったが、其れとは別にヴィシュヌはテイクアウトでサイドメニューの『稲荷ずし』を購入し、店を出た後でクスハにご飯として与えていた。


「旨かった~~……で、次は何処に行くんだ?」

「今度は奥多摩まで足を延ばすとしましょう――そして其処までは、GW期間限定の特別車両で行きましょうか。」


午後は奥多摩まで足を延ばす予定だったらしく、駅で奥多摩行きの列車を待っていたのだが、其処に現れたのはまさかの『C-62』型の蒸気機関車だった。
ヴィシュヌはインターネットで、GW期間限定で蒸気機関車が運行されている事を知り、運行時間も調べて蒸気機関車に乗れるようにデートプランを組んで来たと言う訳である。


「SLか……良いね。一度乗ってみたいと思ってたんだよ!しかも、C-62じゃないか!」

「旅客用のSLは番号が『C』だと言う事は知っていましたが、C-62はその中でも特に人気の車両らしいですね。」


客車は流石に当時のモノではなく、当時のモノに限りなく近いカラーリングが施されているモノだが、其れでも外観だけでなく車内も昭和レトロな造りが再現されており、鉄道好きだったら乗るだけでもテンション爆上がりだろう。
高尾山口駅では時間調整の為に少しばかり停車時間が長くなっており、夏月とヴィシュヌも初めて生で見る実際に動いている蒸気機関車の姿をスマホで撮影し、其れをSNSにアップしたりしていた――勿論場所を特定されない為に何処の駅か分かる様なモノは写り込まないようにしてだ。

そして、こんなレア車両の登場ともなれば所謂『撮り鉄』も多く集まって来る訳なのだが、中にはより良い写真を撮ろうとマナーを守らない迷惑な撮り鉄が発生するのもある意味ではお約束であり、此処でもそんな迷惑な撮り鉄が駅員や真面目な撮り鉄とトラブルを起こしていた。
鉄道の写真をホームから取る場合、点字ブロックの内側から撮影するのがマナーであり其れが当たり前なのだが迷惑撮り鉄はそのマナーを守らずに、当たり前のように点字ブロックを超えた地点から撮影を敢行しようとしているのだ。
今は停車中だから兎も角として、此れが蒸気機関車がホームに入って来るタイミングだったら列車が緊急停止する事態になっていたかも知れず、多くの人に迷惑が掛かってしまう訳だが迷惑撮り鉄はそんな事は全く考えておらず、結果として駅員や他の良識のある撮り鉄とのトラブルになってしまうのだ。
だが、本日この場に集まった迷惑撮り鉄達は運がなかったと言えるだろう……何故ならばこの場に夏月が居るからである。
夏月はヴィシュヌに『ちょっと行って来る』と言うと、トラブルを起こしている迷惑撮り鉄達に近付き――


「オイ、アンタ達がマナーを守らない事で多くの人に迷惑を掛けてるって分からねぇのか?」

「何だよ!良いだろ別に線路に降りてる訳じゃねぇんだし!其れに、良い写真を撮るために多少の無茶をするってのはカメラマンとしたら当然の事だろうが!」

「そうだそうだ!
 其れに此の写真をSNSに上げればバズるんだから、俺達はこの特別車両を広く広告してるって事になるんだぜ?礼こそ言われても、文句を言われる筋合いは何処にもねぇんだよ!」


声を掛けてみるも、迷惑撮り鉄達は自分達が迷惑行為をしていると言う自覚はマッタク無く、それどころか『この特別車両の事を広く知らせてやってるんだから、寧ろ感謝すべきだ』なんて事を言って来た……が、其れは夏月の逆鱗に触れる行為に他ならない。


「人様に迷惑掛けてまで撮った写真に何の価値があるんじゃあ!撮り鉄名乗るんなら最低限のマナーくらい守らんかボケがぁ!
 テメェ等みたいな迷惑な撮り鉄擬きのせいで、本当に鉄道を心から愛してる真の撮り鉄さん達も白い目で見られちまうんだろうがぁ!人様の迷惑になる事はやっちゃいけませんって母ちゃんから習わなかったんか、此のアホンダラゲェ!!」

「キシャポッポ!?」

「シンカンセン!!」

「オダキュウデンテツ!?」


次の瞬間、夏月の鉄拳が迷惑撮り鉄達に炸裂して、全員一撃でKOしてしまった。
そして、この迷惑撮り鉄達を駅員に引き渡してターンエンド――普通ならば此処で警察を呼んで事情聴取となるところだが、夏月は『第十七代更識楯無』の最側近であり、其の存在は政府関係者は勿論の事、警察や消防に救急、自衛隊に公共施設の職員にも知られているので、今回の様に明らかに『他者の害になっている』存在をぶちのめした際にはお咎めなしとなっており、夏月は事を済ませると客車に乗車してヴィシュヌと共に奥多摩へと向かって行った。……ある意味では『更識楯無の最側近』だからこその特権な訳だが、その特権を悪用したらその者は『更識流百八式拷問術』によって死ぬより辛い責め苦を味わう事になるので、そんな馬鹿な事をする輩は居ないと言えるだろう。

迷惑撮り鉄達をぶちのめしてから、改めて蒸気機関車に乗り込み、辿り着いたのは奥多摩地方。
大都会の東京都心に隣接していながら、豊かな自然が残っている場所であり、多摩川の源流に近い上流は透明度の高い清流となっており、清流にしか生息しないアユやヤマメが釣れると言う事で、釣り人の穴場となっていたりするのだ。

そんな奥多摩地方でヴィシュヌの案内でやって来たのは小さな隠れ家的な温泉施設だ。
奥多摩は、実は高尾山から源泉を引いている温泉施設が其れなりに存在しており、都心から日帰りでアクセス出来ると言う理由で、コアな温泉好きからは隠れた名湯がある場所として人気だったりするのだ。


「予約していたヴィシュヌ・イサ・ギャラクシーですが……」

「お待ちしておりましたギャラクシー様。どうぞ此方へ。」


ヴィシュヌは此の温泉施設を予約していたらしく、フロントで『予約していた』事を伝えると、仲居が夏月とヴィシュヌを案内して、辿り着いた先は『露天風呂』だった。
如何やら予約を入れておけば露天風呂を貸し切りに出来るらしく、ヴィシュヌは露店を貸し切りにして貰ったらしい――そして貸し切りならば存分に楽しめると考えた夏月は特に深く考えずに入り口でヴィシュヌと分かれ、脱衣所で服を脱いで腰にタオルを巻いて露天風呂にログインだ。


「此れは、中々の絶景だな。」


その露天風呂は、多摩川の上流部の清流と奥多摩の木々のコラボレーションを堪能出来るモノとなっており、GW中の今は新緑と清流の組み合わせが初夏を目前にした季節の美しさを此の上なく演出してくれていた。


「気に入ってくれたのならば良かったです。」

「へ?って、ヴィシュヌ!?」


だが、此処でまさかのヴィシュヌが参戦!
その身体にはバスタオルが巻かれているのだが、其れでもバストサイズが90cmオーバーのヴィシュヌがバスタオル一枚と言うのは破壊力がトンデモナイレベルであり、夏月も無意識に『男のミサイルが発射準備万全』になってしまったのは致し方あるまい。


「な、何で此処に居るんだよ!?」

「露天は混浴なんですよ此の温泉……だから貸し切りにして貰ったんです。此の温泉は、貴方と一緒に楽しみたかったんです。」

「そう言われたら何も言えねぇな……」


大人しそうなヴィシュヌがまさかの大胆な行動に出て来た事に驚いた夏月だが、ヴィシュヌから『温泉を一緒に楽しみたかった』と言われたら其れ以上は何も言えないので、ヴィシュヌと一緒にこの露天風呂を堪能した。序に、クスハは桶に張ったお湯で『ミニ温泉』を堪能した。

夏月にとっては少しばかりのハプニングがあった温泉だったが、温泉を堪能した後はフロントでお約束とも言える『風呂後の牛乳』を購入し、夏月はコーヒー牛乳でヴィシュヌはフルーツ牛乳だった。
温泉を満喫した後は、JRと京王線を乗り継いで調布まで移動すると、駅前の『お好み焼き屋』で少し早めの夕食を済ませた――その際に、夏月が本職も舌を巻くレベルの見事なヘラ捌きを見せて注目されていたが、料理が趣味の夏月にとってはお好み焼きを良いタイミングでひっくり返す事位は造作もなかったのだろう。
因みに夏月が注文したのはお好み焼きの定番とも言える『ブタ玉』で、ヴィシュヌが注文したのは『エビ玉』だった。そして、〆のメニューは、最近のお好み焼き屋では〆のメニューとして定番となっている『焼きラーメン(豚骨)』で、其れも美味しく頂いた。

そしてモノレールの駅までやって来たのだが、此処で『クスハをどうするか』という問題が発生した。
GW中ならば日替わりで面倒を見る事が出来るのだが、普段は日中の面倒を見る事が出来ない為に学園島に連れて行く事は出来ないのだ――クスハを連れて授業に参加したら、千冬が何をしてくるか分かったモノではないから尚更だ。


「困った時は、此の私に任せんしゃい!」

「束さん!?」

「貴女がドクター・束……」


だが其処に、呼んでもいないのに束が参上し、『その子は私が預かるよ!』と言っていた……と言うのも、束はISとその関連装備以外にも、様々なモノを開発・試作していて、その中には『人間と動物のコミュニケーションをもっと円滑にしたい』との思いで開発された装置もあり、其の装置の起動実験の動物が欲しかった束にとってクスハの存在は渡りに船だった訳だ。
夏月も『束さんだったら無茶な動物実験はしないよな』と考えて、クスハを束に引き渡した――篠ノ之束と言う人物は一般常識を宇宙の彼方のブラックホールに蹴り飛ばしてしまったようなぶっ飛んだ人物であるが、しかし命の重さを重々に承知しているので命を軽んじた行為だけは絶対にしないのである。


「クスハちゃんは確かに受け取ったよ!そんじゃ、かっ君とヴィーちゃんも此れからお幸せに!」


だがしかし、去り際に爆弾を落として行くのは流石は『天災』と言ったところか……恐らくは、真面目故に弄り甲斐があると言う傍迷惑な愛情表現がヴィシュヌに炸裂したのだろう。


「夏月……私は、貴方の事を愛しています……其れは、間違いありません。」

「其れは分かってる……そして、其れは俺もだよヴィシュヌ。俺はお前の事を愛してる。」

「夏月……ん……」


束が去った後、夏月は改めてヴィシュヌの肩を抱くと、その唇を奪う。
謎のクジによって『夏月のファーストキス』を貰う権利はヴィシュヌが獲得したのだが、そのヴィシュヌの権利を夏月はヴィシュヌとの初デートで消化してみせた――初デートでファーストキスを達成させてしまうと言うのは、何とも凄い事であるのだが、其れが出来たのも夏月がヴィシュヌの事を真剣に愛し、ヴィシュヌも夏月の事を真剣に愛しているからこそだろう――尤も其れは、夏月組全員に言える事であろう。
全員が夏月の『秘密』を知った上で全て受け入れ、夏月もそんな彼女達と真摯に向き合っているからこそ、其処に真の愛情と信頼が生まれると言うモノなのだから。

モノレールのホームで唇を重ねた恋人達の姿は、月明かりだけが照らしていた。


そしてゴールデンウィークは残るところあと二日だが、残る二日もきっと夏月の記憶に残るデートになると言うのは、略間違いない事だと言っても過言ではあるまい。
残り二日、夏月にはどんなイベントが待っているのか実に興味深いモノである。


そしてその夜。


「ロランちゃん、夏月君息してる?」

「してない……と、勘違いしてしまう位に呼吸回数が少ないね。死んだように眠るとは此の事かもしれないな。」


本日のゆったりデートで思い切り癒された夏月だったが、だからこそ残り二日となったGWを全力で楽しむためにも更なる英気を養おうと本日は完全就寝時間が訪れる前にベッドに入り、ベッドに入るなり秒で眠りに就いてしまった……就寝前に楯無が夏月とロランの部屋を訪れた際には、呼吸回数すら生きるのに最低限の回数となって、体力回復に回すエネルギーを多くしていたと言うのだから恐ろしい。此れもまた『織斑計画』で生み出されたが故に可能となっている事なのだろう。
其れは其れとして、今日のデートで夏月とヴィシュヌも距離が縮まったのは間違いないだろう――そして其れは同時に夏月とヴィシュヌの絆が鋼の強さを得た事でもあるのだ……今回のデートもまた、最高の結果になったのは言うまでもない事だろう。
ゴールデンウィークは残り二日、ロランと楯無とのデートでは何が起きるのか?――取り敢えず、デートをぶち壊しにするレベルの事が起きないように神様に祈っておくとしよう。……この世に本当に『神様』が存在しているかどうかは分からないが。


「お休み、夏月。」

「あら大胆♪」


取り敢えず本日は、ベッドに横たわる夏月の頬にロランがキスを落としてターエンドだ……それを見た楯無も便乗して夏月の頬にキスを落とした後に自室へと戻って行った、ゴールデンウィークは残り二日。
セミファイナルのロラン、ファイナルステージの楯無が一体どんなデートプランを用意しているのか……此の二人は何か凄いプランを考えていそうな気はするが、其れでも夏月の負担にならない事は考えているだろうから、トンデモプランだけは無いだろう。ある意味で実際に蓋を開けるまで詳細不明の『パンドラの箱』に似たスリルがあるのは否定し切れない部分があるが。
其れは其れとして、GW五日目のヴィシュヌのデートプランは大成功であったと、そう言うより他に彼女のデートプランを賞賛する言葉はないのだから。










 To Be Continued