織斑一夏と言う少年は、一言で言えば優秀な少年だと言えるだろう。
学力も運動能力も、同世代の中では特出していた――が、彼の不幸は、姉の織斑千冬と、双子の弟の織斑秋五は一夏以上に優秀であったと言う事だったと言わざるを得ないだろう。
千冬と秋五が余りにも凄すぎたせいで、一夏は一般人よりも優れているにも拘らず、『織斑家の出来損ない』と言う不当極まりない評価をされて来た……が、此れには姉の千冬の教育方針も大きく影響していたのは否めない。
千冬は、秋五には天性の才能がある事を見抜いて褒めて伸ばす事にし、まだ失うモノの無い一夏は叱って育てる事にしたのだが、千冬は秋五の事は手放しで褒める反面、一夏に対しては例え相応の結果を出しても、出来た部分を褒めるよりも、出来なかった部分を叱責して、時には手を上げる事もあり、其れを見ていた周囲の人間も、何時しか一夏の事を『織斑家の出来損ない』と言うレッテルを張って見るようになってしまったのだ。
では、一夏にマッタク味方が居なかったのかと言うとそれは否だ。
通っていた剣道場の師範の二人の娘で長女の『篠ノ之束』は、一夏を『いっ君』、秋五を『しゅー君』と呼んで分け隔てなく接しており、次女の『篠ノ之箒』も学校で『男女』と虐められていた所を一夏と秋五に助けられた恩義から、秋五だけでなく一夏にも普通に接していた。付け加えて箒の場合、『一夏は秋五のような天才タイプではないが、地道な努力を怠らずに続ける事が出来ると言うのも凄い事ではないだろうか?』と言う思いもあったようである。――それ故に、一夏の努力を評価しない千冬に関しては良い感情を持っていなかったが。
剣道場の師範である『篠ノ之劉韻』も、『秋五君には剣道の、一夏君にはより実践的な剣術の方が向いているかも知れない』と、一夏には『特別指導』としてより実践的な剣術の方を教えたりしていた。……門下生と言う立場的に、劉韻に意見出来ない千冬は、其れを面白くなさそうに見ていた。
一夏達が十歳の時に束が宇宙進出用のマルチパワードスーツ『インフィニット・ストラトス』(以降『IS』と表記)を開発し、更に『白騎士事件』と呼ばれる事になる大事件が起きた後に、束が行方を眩ませ、篠ノ之家は日本政府の『要人保護プログラム』によって離れ離れになり、箒も転校を余儀なくされてしまったのだが、『何時かきっと再会出来る』と信じ、別れ際に一夏と秋五に涙を見せる事はなかった。
箒達が居なくなってしまったら一夏の味方は居なくなった訳では無かった――箒が転校する頃には、小学三年生の時に出会った『五反田弾』と、その妹の『五反田蘭』、そして箒と入れ替わるように中国から転校生としてやって来た『凰鈴音』(名前部分は以降『鈴』と表記)、鈴の従姉妹で台湾から転校生としてやって来た一つ年下の『凰乱音』(名前部分は以降『乱』と表記)が居たのだ。
弾とは学校行事の臨海学校の時に飯盒炊飯で意気投合し、蘭とは其の流れで。鈴とは、転校当初まだ日本語に不慣れな事で虐められていたところを秋五と共に助けたのが切っ掛けで、その事を知った乱に『お姉ちゃんを助けてくれてありがとう』と感謝されて、其れから一緒に居るようになった。
乱は当初、秋五にも感謝していたのだが、『出来損ない』と馬鹿にされ、陰湿な嫌がらせを受けている一夏に対して何もしない事に、次第に不信感を募らせて好きになれずにいた。
一方で鈴は秋五に一夏を助けない理由を聞いたのだが、秋五は『僕が助けたら弟に助けられたって事で一夏のプライドが傷付くかもしれないし、其れを理由に余計に一夏の立場が悪くなるかも知れないから。』と言って、其れを聞いた鈴も其れ以上は何も言えないで居たのだが。
其れでも一夏は、数少ない味方が居たおかげで性格が歪む事もなく、千冬には褒められる事はなくとも、仲間達からは評価されていた事もあり、『出来損ない』と言われる事も、陰湿な嫌がらせにも屈する事はなかった……尤も、現状を見て見ぬ振り(少なくとも一夏はそう感じていた)する秋五と、頑なに己の努力を認めずに、それなりの結果を出してもその結果を評価してくれない千冬には心底嫌気がさしてはいたが。
特に千冬は、ISバトルの世界大会『第一回モンド・グロッソ』で優勝し、『ブリュンヒルデ』の称号を得てからは、より強権的になったので余計だった。
だが、そんな状況であっても一夏はまだ、『何時かは千冬姉も俺の事を認めてくれるかもしれない』と僅かばかり思っていたのだが……両親の離婚を機に鈴が中国に帰国した後に、その僅かばかり残っていたモノを完全に粉砕する事件が起きた。
ドイツで開催された『第二回モンド・グロッソ』の時である。
夏の月が進む世界 Episode1
『一つの夏が夏の月に変わる時』
第二回モンド・グロッソ――世界中から腕利きのIS乗りが己の腕を試さんと、代表国の威信を背負って其の力を発揮する、『ISのオリンピック』とも言うべき大会なのだが、『第二回大会も第一回大会に続いて織斑千冬が優勝するだろう』と言うのが大方の予想だった。
何しろ千冬は、第一回大会で全ての試合を五分以内に終わらせると言う凄まじい結果を残しているので、大方の予想が『千冬の連覇』となってしまったのは致し方ないと言えるだろう。
だが、千冬の連覇を快く思わない者も存在しているのもまた事実だ。
国名は上げないが、オリンピックで常にメダル獲得数でトップ3に名を連ねる国々としては、今や世界でトップブランドとなっているISを使った『ISバトル』の世界大会で日本人に連覇されると言うのは非情に面白くない事である。只でさえ日本は、IS発祥の地として国際社会でも発言権を増し、つい最近国連の常任理事国入りを果たし、中国、北朝鮮、ロシアとの領土問題も有利に進めて来たと言う事もあり、此れ以上日本の力を増さない為にも、千冬の二連覇を阻止しようと企む者が現れると言うのは当然の結果であったと言えるだろう。
とは言え、真正面から千冬を襲撃して決勝戦を棄権させる事は不可能に近いので、千冬の二連覇を阻止せんとする者達は、金でエージェントを雇って千冬の弟を誘拐するように指示し、そして其の指示を受けた者達によって、飲み物を買う為に席を立った一夏は誘拐されてしまったのである。
真正面から当たっても勝てないのならば、人質を使ってと言う事なのだろう。
一夏は剣術だけでなく、体術に関しても、柔道、空手、ボクシング、レスリングを習っており、其れなりの腕前だったのだが、背後からのスタンガン攻撃(10万ボルト)には如何する事も出来ずに捕まってしまったのである。
誘拐犯達は、『織斑千冬の弟の織斑一夏を誘拐した。織斑千冬に『無事に弟を返してほしければ決勝戦を辞退しろ』と伝えろ』と日本政府に通告したのだが……
「お、オイ!織斑千冬が決勝戦に出てるぞ!!」
「んだとぉ!?あのアマ、弟見捨てやがったのか!?」
何と千冬は決勝戦に平然と出場していた――一応言っておくと、千冬は一夏を見捨てた訳ではなく、日本政府が『織斑一夏誘拐』の件を千冬に伝えなかったのである。一人の少年の命よりも、国の名誉を優先した、そう言う事なのだろう。
「(何だよ其れ……ハハ、結局俺は千冬姉には家族として見てられなかったって事か……俺は千冬姉にとって弟でもなんでもなかった訳か……不出来の弟は家族ですらないって、そう言う事か……)」
だが、其れは一夏にとっては決定的な一打だった。
千冬が自分の事を如何して褒めてくれないのかと思っていたが、今回の事で『自分が家族として見られていない』と言う事を確信するには充分過ぎた――その瞬間に一夏の瞳には僅かばかりの憎悪の炎が宿ったのだが。
「クソがぁ!此れじゃ計画丸潰れだぜ……このクソガキがぁ!!」
其れは其れとして、千冬が決勝戦に出場して今回の計画が失敗に終わったと知った誘拐犯達は、其の腹いせに椅子に縛り付けられて身動きが取れない一夏に対して暴行を加え始めた。
殴る蹴るだけでなく、致命傷にならない場所への凶器での攻撃……ナイフで顔には、一生消えない傷を刻み込まれてしまった。
しかし、その暴行を受けても一夏は悲鳴一つ上げずに、歯を食いしばって其れを耐えた――悲鳴を上げたら、誘拐犯に屈してしまった気がして、絶対に声を上げる事だけはしまいと思っていたのである。
執拗な暴行は更に続き、一夏も辛うじて意識を保っている状況になり――
「坊主、何か言い残す事はあるか?」
「其れよりも、テメェが最後に言い残す事はあるか?」
誘拐犯の一人が一夏の頭に銃を突き付けて来たところで状況が一変した。
銃を突き付けて来た男の背後に、オレンジのロングヘアーが特徴的な女性が現れると、秒で男をスリーパーホールドで絞め墜とした後に首の骨を折って滅殺!!マッタク持って無駄のない流れるような動作には感動すら覚えるだろう。
「あ、アンタは……オータムの姉御!」
「よう、金に目が眩んで随分と勝手な事してくれやがったなオイ?
オレ達はテロリストじゃねぇってのに、『織斑千冬の二連覇阻止』の為とか言う下らねぇ誘拐なんぞに手を貸しやがって……テメェ等の私利私欲で身勝手な行動にはボスも大層ご立腹でな、オレとスコールにテメェ等の粛清を命じて来たぜ?
まぁ、そう言う訳だから……取り敢えずテメェ等は全員死んどけ!」
オータムと呼ばれた女性はナイフとハンドガンを装備すると誘拐犯達の中に切り込み、次々と誘拐犯達を物言わぬ骸へと変えて行く……一発でヘッドショットを決める射撃の正確さも見事なモノだが、誘拐犯の銃撃はナイフを盾代わりにして弾くと言う抜群の戦闘センスの前では、組織の末端の構成員である誘拐犯では、正に手も足も出ないと言った所だ。
「く……こ、来ないで!其れ以上近付いたら、そのガキを撃ち殺すわよ!!」
「は、言うじゃねえか?なら、やってみろよ、出来るもんならなぁ!!」
誘拐犯のリーダーの女性は手にした銃を一夏に向けるが、その引鉄が引かれるよりも早くオータムのハンドガンが女性の眉間を撃ち抜き勝負あり。突入してから僅か三分足らずでオータムは誘拐犯全員を始末したのであった。
イキナリ目の前で起こった事に唖然としている一夏を保護すると外で待機していたスコールと合流し、其のまま全速力で現場から離脱。
目的を果たした以上、此の場に長く留まる必要はないと考えたのだろう。
「えっと、助けてくれてありがとうございます?あの、お姉さん達は?」
「何だって礼が疑問形になってんだ?ま、イキナリ目の前であんな事が起きたんだから理解が追い付かねぇって所なんだろうけどよ。
オレはオータム。んで、こっちが相棒のスコールだ。」
「私達は貴方を誘拐した連中と同じ組織に属している人間よ……尤も、彼等は末端の構成員で、私とオータムは幹部と言う違いがあるけれどね。」
「同じ組織って、それじゃあアンタ等もまさか……」
「あ~~、気持ちは分かるが落ち着け坊主。オレ達はお前を如何こうしようとは思ってねぇ。
お前を誘拐した奴等はスコールが言った通り末端の構成員で、金に目が眩んで上に話を通さずに勝手な事しやがったんでボス直々に粛清命令が出てな、その命令を完遂する為にあそこに行ったって訳だ。」
「そして君を助けたのは、ボスの命令とは別に匿名での依頼が私個人に入ったからよ。
『誘拐された織斑一夏を助けて欲しい。助けた後は、織斑千冬の元には帰さずに引き離して欲しい。勿論、本人の意思を確認した上で』ってね。」
「……そう、だったんですか。すみません、助けて貰ったのに。」
『自分を誘拐した連中と同じ組織に属する幹部』と言う事を聞き、『この二人も実は自分を誘拐する心算だったのか』と少し警戒した一夏だったが、スコールとオータムから事情を聞き、現状を理解した。
その後、スコールから『依頼では貴方を織斑千冬の元には帰さないで欲しいとあったのだけれど、貴方は如何する?あくまでも、貴方の意思を尊重するわ。』と言われた一夏は、迷う事無く『俺はもう、千冬姉の……織斑千冬の元に帰りたくはありません。』と自らの意思を示した。
日本政府が一夏誘拐の事実を隠蔽して千冬に伝えなかったとは言え、そんな事を知らない一夏からしたら、決勝戦に出場した千冬は自分を見捨てて二連覇の名誉を取ったも同然だったので、この回答は当然と言えるだろう。
何よりも、今回の一件で一夏は『何時かはきっと』と言うこれまで縋っていたモノすら否定されたに等しく、『絶対に認めてくれない姉』と『見て見ぬ振りする弟』に見切りをつけるには充分なモノであったのだ。
「……本当に良いのね?」
「はい。俺は今から『織斑』を捨てて別人として生きて行きます……!!」
「別人としてね……良いぜ、ならオレとスコールでその手伝いをしてやんよ!ウチの組織の力使えば、戸籍を新たに作るとか余裕だし、あの馬鹿共がお前をリンチした事であの場にはお前の血も残ってるから、『織斑一夏』を死んだ事にするのも難しくねぇしな。」
「別人と言う事は、今の名を捨てると言う事だと思うけれど、新たな名前を考えていたりするの?」
「『一夜夏月』……って言うのは如何でしょう?一つの夜に夏の月って書いて。」
「一夜夏月……良いんじゃねぇか?夜と月ってのは関係が深いし、其処に一夏の名を分けて入れてるってのも中々良いセンスだと思うぜ?」
そして一夏は『織斑』との決別を決め、新たに『一夜夏月』として生きる道を選択したのだった。――一人では到底無理であるかもしれないが、スコールとオータムが組織ぐるみで協力してくれると言うのでれば話は別だろう。
スコールとオータムが属している組織『亡国機業』は世界的にも強大な影響力を持つ裏組織なので、新たな戸籍や、パスポートを始めとする身分証明書を作る事位は朝飯前なのだ。
「取り敢えず、此れ飲んどけ。治療用のナノマシンが詰まったカプセルだ。顔の傷痕は残っちまうだろうが、傷其の物はあっと言う間に治っちまうからよ。……まぁ、副作用で髪や目の色が変わっちまうかもだけどな。」
「どうせ変わるんなら目の色が変わって欲しいですね。
髪の色は染める事で変える事が出来ますけど、目の色だけはカラコン使わないと変える事が出来ないから、俺が『織斑一夏』だって言う事を完全に否定出来ますから。」
オータムから渡された治療用ナノマシンカプセルの副作用を聞いても一夏もとい夏月は動じず、それどころか『色が変わるなら目の方が良い』と言う……もう、完全に『織斑』に未練はないようだ。
余りにもアッサリし過ぎな気もするが、其れだけ夏月の心の奥底には鬱憤が貯まっていたと言う事なのだろう……其れが今回の件で爆発した訳だ。
現場を離脱して十数分後、車は港に到着し、其処から亡国機業所有の大型船に乗り込み、更に船のヘリポートでヘリコプターに乗り換えて、一行はドイツの隣国であるオランダへと飛び立って行った。
其の間に、オータムは日本政府に『此方の要求は無視されたので織斑一夏は殺害し、その遺体は粉々にして海にばら撒いた……其れと、オレの事を知られたくないからオレ以外のメンバーも殺しておいた。』と連絡を入れていた。
日本政府にオータムからの連絡が入ると同時に、決勝戦を終えた千冬にドイツ政府から『織斑一夏が誘拐された』との連絡が入り、千冬は全速力で現場に急行したのだが、其処にあったのは誘拐犯と思しき人物の遺体と、決して小さくない血溜まりだった。
そして、其の血溜まりから採取された血液はDNA鑑定の結果『織斑一夏』のモノであると断定され、更に日本政府に入った連絡と合わせて『織斑一夏』の死亡は、状況証拠によって断定された――『一夏の血液』と言うたった一つの物的証拠の存在も大きかっただろう。
一夏が死んだと言う事に千冬はショックを受けていたが、其れ以上に秋五はショックを受けると同時に後悔していた……『もしも自分が一夏の事を助けていたら、こんな事にはならなかったのではないか』と。尤も、既に状況は後悔先に立たずな訳なのだが。
ドイツでそんな事が起きていた頃、夏月たちを乗せたヘリコプターはオランダへと無事到着。
普通ならば空港での入国審査があるのだが、亡国機業によってスコールとオータム、そして夏月は既にオランダに入国済みとなっているので入国審査は完全スルー出来るのである。
オランダに到着するまで、ヘリコプターの中で寝ていた夏月だが、目を覚ましたその時には身体の傷は治っていたが、同時に目の色が金色に変わっていた……オータムに指摘されて、其れを確認した夏月は『此れも悪くないな。』と思っていた。
「なぁ、オータムさん……秋姉って呼んでも良いか?なんか、姉貴って感じがするからさ。」
「グハァ!!……こ、コイツは中々の破壊力だなオイ……良いぜ、お前がそう呼びたいなら好きにしろや。」
そして、若干オータムをKOしかけていた……まだ出会って数時間だが、夏月はオータムに千冬とは全く異なる『姉性』を感じたのかも知れない。――亡国機業内でもオータムを『姉御』と慕う奴等は少ないくないので、ある意味では間違いではないのかも知れないが。
兎にも角にも、『一夜夏月』としての戸籍やら何やらが出来るまで日本に戻る事は出来ないので、一行は暫しオランダに滞在する事になるのであった。
――――――
第二回モンド・グロッソから数日後、日本では『織斑一夏』の葬儀が執り行われていた。
結局一夏の遺体は上がらず、仏無しでの葬儀となったのだが、其れでも式には其れなりの人数が参加していた――その多くは、千冬の関係者であり、一夏とは縁も所縁も無い者達だったが。
葬儀そのものは恙無く執り行われたのだが……
「何でよ……何で一夏を見捨てたの!言ってみろ、何でだぁぁぁぁ!!!」
葬儀が終わりに近付いた所で乱が千冬に詰め寄り、胸倉を掴んで強制的に立ち上がらせて激しく責め立てた……乱の目元には涙が浮かんでおり、一夏が死んでしまった事を心底悲しんでいる様だった。
泣きそうになっているのを何とか堪えている秋五とは違い、式が終わろうとしているにも関わらず、悲しむ素振りすら見せない千冬に我慢して居たモノが一気に爆発した、そんな感じだった。
だが、其れだけにそんな乱の哀しみと怒りに満ちた目で睨みつけられた千冬は乱の問いに答える事が出来なかった……『日本政府が一夏誘拐の事実を隠蔽した』と言えば其れで済むのかも知れないが、其れを言った所で所詮は言い訳に過ぎない。
一夏が誘拐された事にも気付く事が出来ずに決勝戦に出場した千冬は、『一夏を見捨てた』と言われても其れを真っ向から否定する事が出来なかったのだ。
「……だんまりって、所詮アンタにとって一夏はその程度の存在だったって事ね……尊敬に値するわ『血濡れのブリュンヒルデ』!アタシは、アンタを絶対許さない!」
だんまりを貫く千冬に業を煮やした乱は、千冬の胸倉を離すと、今の自分に出来る最大最強の侮蔑の言葉を千冬に吐き捨てて、其の場を後にした――『血濡れのブリュンヒルデ』とは、千冬にしてみれば此の上なく突き刺さるモノであっただろう。
そして乱だけでなく、葬儀に参列した五反田兄妹からも『アンタに姉の資格はねぇよ』、『一夏さんの最大の不幸は貴女が姉だった事ですね』との罵声を浴びせられ、千冬のライフはゼロになり掛けていた――其れでも折れなかったのは、もう一人の弟である秋五の事を守らねばならないと言う思いがあったからだろう。
葬儀から数日後、千冬は単身ドイツに渡っていた――『織斑一夏誘拐』の報を入れてくれたドイツに恩を返すべく、一年間ドイツ軍の『黒兎隊』の教官を務める事になっていたからだ。
だがこの千冬の選択は、乱や弾に『一夏の死から逃げようとしている』と思われ、一夏の味方だった者達からは余計に印象が悪くなってしまうのだった。
――――――
日本で『織斑一夏』の葬儀が行われているとは露ほども思っていなかった夏月は、オランダ生活を満喫していた。
『一夜夏月』の日本国籍が出来るまでの滞在ではあるが、馴染みのなかったオランダ料理は夏月の琴線に触れるモノがあったらしく、スコールとオータムが酒の肴にしていたチーズも日本では見た事がないモノだったので其方にも興味があり、街に出てはチーズやオランダ料理の食べ歩きをするようになっていたのだ。
本日もチーズ専門店でまだ食べた事がないチーズを買おうと街に繰り出したのだが――
「―――!―――――!!」
無人のビルの近くを通った時に何か声が聞こえて来たので、夏月は気になってビルに入ってみると、其処では銀髪の少女が身振り手振りを交えながら何かを話していた――が、ビルの中には今入った夏月以外には少女の姿しかない。
にも拘らず、誰かと話して居るかのような立ち振る舞い……少女は、演技の練習をしているのだ。
余程集中しているのか、少女は夏月に気付かずに練習を続け、夏月も少女の熱の入った練習にすっかり見入ってしまい、セリフを言い切り少女が一息吐いたところで自然と拍手を送っていた。
「っ!君は……?」
「あぁ、ゴメン驚かせて。
いや、ビルの前通ったら中から声が聞こえて来てさ。ちょっと気になったから中に入ってみたら、君が演技の練習してて、何て言うか思わず見入っちまった。セリフに気持ちが籠ってて凄く良かったと思う。」
「そうかい?其れは良かった……実は明日が初舞台でね、こうしてこっそりと練習していたんだ。」
「初舞台って、劇団かなんかに所属してるって事か?……あ、そう言えば名前を名乗ってなかったな。俺は一夜夏月って言うんだ。」
「名乗られたのならば返すのが礼儀だね。私はロランツィーネ・ローランディフィルネィだよ。長いだろうから、ロランと呼んでおくれ。」
少し言葉を交わした後にお互いに名を名乗る。夏月は『長い名前だな……つか最後の方なんつった?』と思ったのだが、其れを聞く前に『ロランと呼んでくれ』と言われたので敢えて改めて聞くような事はしなかった。
なので其のまま話をしてみると、ロランは街の小さな劇団に所属しており、明日が初舞台で、しかも行き成り主役として役者デビューするのだと言う。
「初舞台で行き成り主役って、其れって可成り凄い事なんじゃないか?いやまぁ、さっきのロランの演技を見たら主役に抜擢されるのも納得って所だけどさ。
演劇には明るくない俺でも、ロランの演技のレベルが高いって事だけは分かったからな。」
「ふふ、嬉しい事を言ってくれるじゃないか?
今は未だ街の小さな劇団だけれど、将来女優を目指している私からしたら夢を叶える為の大切な第一歩だからね……主役を任された以上は、確りとその役目を果たす心算さ。」
「女優目指してんだ?……なら、デビュー前の演技を見て、其れに見入っちまった俺はロランの最初のファンって事で良いかな?さっきはマジで、完全に演技に引き込まれてたからな。」
「君が最初のファン……うん、悪くないね。なら、最初のファンとして明日の舞台を観に来てくれるかな?団長から『親しい人にでも観に来て貰え』ってチケットを何枚か貰っていてね、一枚君に進呈するよ夏月。」
「良いのか?OK、必ず観に行くよ!」
「ふふ、今日以上の演技をして魅せるから期待していておくれ♪……それにしても、その顔の傷痕は……」
「あぁ、此れな……やっぱり怖いか?」
「いや、ワイルドで良いと思うよ?寧ろ、君の魅力を引き立てている感じがするね♪」
「ワイルドで良いか……そう言われると、少し照れ臭い気もするけどな。」
初対面でありながらあっと言う間に打ち解ける事が出来たのは、此れはもう夏月とロランは『馬が合う』と言うより他は無いだろう。馬が合う人間と言うのは、初対面であっても簡単に打ち解けてしまうモノなのである。
その後、夏月はロランと共に目的のチーズ専門店まで行き、夏月が買おうと思っていたチーズの他にロランお勧めのチーズを購入し、屋台でオランダのB級グルメを堪能してからロランと別れ、滞在しているホテルへと戻って行った。
ホテルに戻った夏月は、スコールとオータムに今日あった事を話し、『明日はロランの舞台を見に行きたい』と言うと、スコールは『オランダを発つのは明後日の予定だから問題ないわ。』と言い、オータムも『ソイツのファンだってんなら、花束ぐらいは用意しておけよ』と言ってくれた。
其れは其れとして、スコールから『一夜夏月』の戸籍が出来たと言う事を聞き、スコールが持っている日本国籍『坂神時雨』の養子と言う事になったとの事だった……まさか、スコールの養子になるとは思っていなかったので、其処は夏月も驚いたのだが、一夜夏月には他に家族も居ないので、スコールが孤児を引き取って養子にしたと言う方が色々と都合が良かったのだろう。
因みに戸籍が出来たのにオランダを発つのが明後日なのは、『一夜夏月』のパスポートが出来上がるのが明日だからである。入国の際は、亡国機業の裏ルートで入国したのだが、日本に向けて出国し、日本に入国する際には『一夜夏月』の存在を公に認めさせた方が良いので、パスポートは絶対に必要になるのである。
翌日、ロランの舞台を観に来た夏月は、オータムのアドバイスの通り花束を持って来ていた。
こう言う場合の花束は数種類の花を使ったモノを用意するのが普通なのだが、夏月が用意したのはチューリップの花束だった――色々と迷ったのだが、チューリップはオランダの国花なので、其れ一択だったのだ。この辺のセンスの良さも夏月の優れている部分であると言えるだろう。
劇の内容は、ロラン扮する一国の姫がマスクで顔を隠して悪人を成敗すると言う内容で、最後の最後でその正体を明かし、民衆からの絶大な支持を得て次代の女王になると言うモノだったのだが、ロランの演技は秀逸で、主役としての輝きを此れでもかと言う程に放っていた……『脇役が巧ければ主役はダイコンでも務まる』と言うモノを見事に否定したと言えるモノだった。
カーテンコールで夏月は惜しみない拍手を送ると、舞台終了後に楽屋を訪れてロランに花束をプレゼントした。
「夏月……観に来てくれるとは思っていたけど、花束のプレゼントは正直予想外だったよ。」
「俺はロランの最初のファンだからな。花束くらいはプレゼントしても良いかなって。」
「ふふ、ありがとう夏月。嬉しいよ。」
こうしてロランの初舞台は成功を収め、そして翌日夏月はオランダを発つ事になったのだが、アムステルダム国際空港にはロランが見送りに来てくれていた。自身の最初のファンである夏月の見送りに行かないと言う選択肢はなかったのだろう。
「いつかまたオランダに来ておくれ夏月。」
「其れも良いけどさ、お前が大女優になって日本に来るってのもアリじゃないか?お前が日本に来た其の時は、俺が日本を案内してやるよ。」
「私が日本にか……其れも良いね。其の時が来たらぜひ日本を案内しておくれ……そして、美味しいラーメン屋と牛丼屋を教えて欲しい。」
「なんでラーメンと牛丼?」
「ラーメンと牛丼は日本人のソウルフードなのだろう?是非とも一度味わってみたいと思っていてね。」
「まぁ、間違いじゃねぇな。ラーメンと牛丼が嫌いな日本人ってのは可成りのレアケースだろうからな。」
別れ際に少々謎の約束が交わされたが、夏月とロランはハイタッチを交わすと、夏月はスコール、オータムと共に日本行きの便の搭乗口へと向かって行き、ロランはその背に向かって手を振り、、夏月は後ろ手に手打って其れに応え、エスカレーターを降りる際にサムズアップしてターンエンド。
「夏月……また会おう。君と再会する時を楽しみにしているよ。」
夏月達が搭乗した旅客機が離陸したのを見届けたロランは其れだけ言うと空港のロビーを後にしたのだった。
――――――
オランダを発った夏月達は、無事に日本の羽田空港に到着した――仮にハイジャックが起こったとしても、スコールとオータムが居る時点でハイジャック犯は秒で無力化されるのでマッタク問題はないのだが、無事に到着出来たと言うのは其れだけで素晴らしい事であると言えるだろう。
入国審査を終えた一行は、空港でタクシーに乗って、次なる目的地に。
「えっと、何処に向かってるんですかスコールさん?」
「此れから貴方が過ごす事になる場所よ夏月――出来る事なら、私とオータムも貴方と一緒に暮らしたいのだけれど、私達は組織の仕事があるから貴方と一緒に暮らす事は出来ないの。
だから、貴方の事は私が最も信頼出来る人に預けさせて貰うわ……良いわね?」
「……そう言う事なら分かったよスコールさん……いや、義母さん。」
「此れは予想以上の破壊力!!」
「オレの時よりも破壊力がハンパねぇなオイ……天然ジゴロかコイツは?『織斑家の出来損ない』って卑下されてなかったら、冗談抜きで巷の女を魅了しまくってたかもだぜ。
下駄箱の容量無視したラブレターが現実になってたかもな。」
その道中で夏月はスコールに決して小さくない精神的ダメージを与えていた……良い方向での精神ダメージなのでそれ程問題にはならないだろうが、『義母さん』と言うのは中々に刺さった様だ。夏月のような極上イケメンに言われると、スコールのような大人の女性でも中々に来るモノがあるらしい。
それはさておき、タクシーは目的地に到着。
タクシーを降りた夏月は、目の前の大邸宅に驚いた……何せ、目の前に現れたのは東京ドーム一個分はあるであろう敷地を漆塗りの壁で囲い、大きな門を供えた大邸宅だったのだから。
夏月達がやって来たのは、日本の暗部組織である『更識』の家だった――そして、此処で夏月は運命的な出会いを果たす事になるのであった……
To Be Continued 
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